日本語の勉強2010/06/27 19:36

ちょっとした手違いで資格試験を受けることになった。
技術文書を作成する能力を試す検定試験である。なぜそのような能力が要求されるかと言えば、日本語の特徴である曖昧な表現が技術文書には適さず、基本的なルールに従って明快な技術文書を作成しようというのが理由のようだ。

確かに日本語は、主語が省略されたり、述語が最後に来て、しかも断定的な表現を避けたりするため曖昧な表現になり、非常に複雑になっている科学技術の世界では都合が悪い。ただ日本語は縦書き、横書きが出来るし、かな、漢字の使い分けによって視覚的に理解しやすいという利点もある。断定的な表現を避けるのも、相手に対する配慮であり、そういう文化も大切にしたいと思う。その上で明快な文書を書く技術を習得し、場面に応じて使い分けられれば良いと思う。

ワールドカップのサッカーの試合を見ていると、スペイン語圏のチームの強さが目立つ。その国の歴史や文化に思いをめぐらすと、独自の文化である日本語を使えることは、何より幸せなことかも知れない。

ネバートゥーレイト2007/10/27 19:54

今年の自分のテーマであるコミュニケーション力を向上するために、話し方教室と英会話教室に通っている。僕は技術屋のせいか、人を相手にするより機械をいじっている方が好きで人付き合いは苦手なのだが、かと言って数年前まで積極的に直そうという気もなかった。しかし将来、より直接的に世の中のためになるようなことをしたいと考えるようになり、それにはコミュニケーション力が不可欠だと思い2年前から話し方教室に通い始めた。

先日その教室で発表会があり、改めて他人への接し方について考え直してみたのだが、僕は相手に伝えたいという思いが強過ぎて相手の反応を拒んでしまい、それが人前で話すことや人と会話することへの苦手意識になっていたような気がする。

この辺は英語を学ぶ姿勢にも通じるところがあり、耳をダンボのようにして聞いて理解しないと、相手も自分の話しをきちんと聞いてはくれない。コミュニケーションの基本は、まず相手を理解することから始まるのだと今さらながら思った。

60で辞めてもいいけれど2007/03/25 19:38

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」のつづき。20世紀後半の日本に生まれただけで幸運なのだから、定年は今から65歳にしてもいいのではないかと思う。今の若い人たちは少なくとも65歳まで働かなければ、老後の生活はできないのは分かっているのだから、明白な不公平は今すぐに取り除けばいい。

この本を取り上げた理由は、地球環境についても同じことが言えると思ったからだ。環境問題に関わる人たちは2050年をひとつのターゲットとして、いかに大量消費社会から循環型社会に切り替えていくかを論じているように思えるが、放物線の軌跡を追ってその頂点を探るよりも、今から環境負荷を持続可能なレベルに引き下げた上で、じっくりと社会構造を変えていけばいいように思う。

年配の人たちと会話して感じることだが、彼らの多くも決して若い人たちに負担を強いるようなことを望んでいるわけではない。

3年で辞めてもいいけれど2007/03/03 20:52

「若者はなぜ3年で辞めるのか?」を読んだ。新入社員の3割は3年で辞める。その理由は年功序列制度により汗水たらして働いても将来、報われることはない閉塞感だとというのが著者の主張だ。確かに自分の職場でも新人たちが夜遅くまで働いている一方で、彼らの3倍の給料をもらい朝9時に出社し1日中椅子に座って夕方6時に退社する中高年社員がいる。その姿を見れば不公平さを感じるのは分からない訳ではない。

自分が新人だった頃もそうだったと言っても説得力はないだろうが、20世紀後半の日本という国に生まれただけで僕は幸運だと思っている。もし違う時代、違う場所で生まれていたとしたらと思うとぞっとする。定年を迎える団塊の世代も会社に入ったばかりの新人も、ほとんどの人は飢えも戦争も経験することなく生きてきたはずだ。しかしこれからの時代は、そうはいかないかも知れない。上からでも下からでもない同じ目線で、違う世代の人と話しをすることが出来たらと思う。

標準語としての日本語2006/09/03 22:40

健康と環境は僕にとって二大テーマだが、その次に関心があるのがコミュニケーションだ。身近な人同士の会話から国と国との交渉まで、コミュニケーションの重要性は誰もが理解していると思う。

かなと漢字が交じった日本語は、論理的ではないが直感的には分かりやすいし、見た目も美しいので僕は結構好きだが、外国人にとってだけでなく日本人にとっても難解だ。僕も小学校を二年近く休学したせいもあってか今だに漢字が苦手だし、助詞の使い方もときどき間違える。それだけでなく、地方にはそれぞれの方言があるし世代間でも使う言葉は違っている。

最近、僕の母親が孫にメールを打ちたいというので、実家に帰った際、電子メールのやり方を懇切ていねいに教えたのだが、高齢なのですぐに忘れてしまいファックスで問い合わせがくる。パソコン用語を使わずにパソコン操作を教えるのは至難のわざだ。

もちろん仕事などで技術者同士が会話するときは、技術用語を使う方が正確に伝わるし理解もしやすいから同類の人同士であれば共通の言葉を使えばいい。しかし相手が不特定多数の場合は誰もが分かるような日本語、つまり標準語としての日本語が必要だと感じる。(同様に世界標準語としての英語もあると良いと感じている)

言葉は文化なのでルールで縛ることは無理があるだろうが、とりあえず僕は、主語をはっきり言い、分かりやすい言葉を選び、短く文章を区切って話しをすることを心がけたところ、意味が伝わらず聞き返されることが少なくなったように思う。