標準語としての日本語2006/09/03 22:40

健康と環境は僕にとって二大テーマだが、その次に関心があるのがコミュニケーションだ。身近な人同士の会話から国と国との交渉まで、コミュニケーションの重要性は誰もが理解していると思う。

かなと漢字が交じった日本語は、論理的ではないが直感的には分かりやすいし、見た目も美しいので僕は結構好きだが、外国人にとってだけでなく日本人にとっても難解だ。僕も小学校を二年近く休学したせいもあってか今だに漢字が苦手だし、助詞の使い方もときどき間違える。それだけでなく、地方にはそれぞれの方言があるし世代間でも使う言葉は違っている。

最近、僕の母親が孫にメールを打ちたいというので、実家に帰った際、電子メールのやり方を懇切ていねいに教えたのだが、高齢なのですぐに忘れてしまいファックスで問い合わせがくる。パソコン用語を使わずにパソコン操作を教えるのは至難のわざだ。

もちろん仕事などで技術者同士が会話するときは、技術用語を使う方が正確に伝わるし理解もしやすいから同類の人同士であれば共通の言葉を使えばいい。しかし相手が不特定多数の場合は誰もが分かるような日本語、つまり標準語としての日本語が必要だと感じる。(同様に世界標準語としての英語もあると良いと感じている)

言葉は文化なのでルールで縛ることは無理があるだろうが、とりあえず僕は、主語をはっきり言い、分かりやすい言葉を選び、短く文章を区切って話しをすることを心がけたところ、意味が伝わらず聞き返されることが少なくなったように思う。

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