日本語の勉強2010/06/27 19:36

ちょっとした手違いで資格試験を受けることになった。
技術文書を作成する能力を試す検定試験である。なぜそのような能力が要求されるかと言えば、日本語の特徴である曖昧な表現が技術文書には適さず、基本的なルールに従って明快な技術文書を作成しようというのが理由のようだ。

確かに日本語は、主語が省略されたり、述語が最後に来て、しかも断定的な表現を避けたりするため曖昧な表現になり、非常に複雑になっている科学技術の世界では都合が悪い。ただ日本語は縦書き、横書きが出来るし、かな、漢字の使い分けによって視覚的に理解しやすいという利点もある。断定的な表現を避けるのも、相手に対する配慮であり、そういう文化も大切にしたいと思う。その上で明快な文書を書く技術を習得し、場面に応じて使い分けられれば良いと思う。

ワールドカップのサッカーの試合を見ていると、スペイン語圏のチームの強さが目立つ。その国の歴史や文化に思いをめぐらすと、独自の文化である日本語を使えることは、何より幸せなことかも知れない。

シュレッダー2010/05/30 09:33

浜松市ではレジ袋削減のため、指定のごみ袋の中にレジ袋を入れることが禁止になった。内袋を使わず、可燃ごみをそのまま入れろということだ。

それまで安易に捨てていた個人情報が入った書類もまる見えになってしまうので、何とかしようとシュレッダーを購入することにした。家庭用の安物だが大量に裁断しない限り十分使える。しかもカードやCDなども裁断出来て重宝している。

使い始めてみて、個人情報の入った書類だけでなく、給与明細やシステム手帳のダイアリーなどが大量にあることに気づき、この機に古い記録をシュレッダーにかけてみた。ついでにバックアップとして残していたCDやDVDの電子データも、シュレッダーにかけたら本棚だけでなく気持ちがまでが軽くなった。

人は忘れるから前に進んでいける。過去の記憶でいっぱいになりかけたら、ときどき心の中もシュレッダーをかけてみるのもいいかも知れない。

そうだ奈良へ行こう2010/05/23 15:08

平城遷都1300年祭に行ってきた。日本史を古代から読み直しているうち、時代の中心になった場所を改めて自分の足で歩いてみたいと思った。京都へは何度も行っているが、奈良へ行ったのは小学校の修学旅行以来だと思う。

広大な土地に点在する平城京の宮蹟は中国や朝鮮の影響を強く残し、当時の日本が大陸から多くを学ぼうとしていた姿勢が伺えた。目玉は写真にある復元された大極殿であるが、併設されている平城京歴史館も当時の様子をバーチャルリアリティで映像化しとても興味深かった。

隣国とは人種や文化が近い故に却って争いが生じることも多い。しかし中国や朝鮮とは二千年以上の交流があり、多くのことを学んできた。お互いが歴史をきちんと学んで、未来に向けて協力し進んでいけたらいいと思う。

ニュースペーパーレス2010/05/15 13:12

購読している日経新聞の紙版を止めて電子版に切り替えた。その方が少しは地球にやさしいのではないかと思ったから。

電子版というのは紙版と同じ記事をネットで閲覧できるものだが、値段は紙版とあまり変わらない。経費は大幅に削減できるはずなのに新聞販売店への配慮だろう。これでは新聞のペーパーレス化はなかなか進まないと思う。一方で無料のネットニュースで十分ということで紙版の購読を中止する家庭も増えているようだ。

電子版は気になる記事を自動で収集できるなど便利な機能も多いが、表示には少し時間がかかりネットブックだと動きが重く興味のない記事を次々読み飛ばしていくようにはいかない。未だ発展途上という感じだが、今後改善されていくだろう。

そう言えばNHKが受信料の支払いを拒んでいる視聴者に対して法的手段に訴えるというニュースが載っていた。デジタル化されたものは全てフリーになっていくという説もあるようだが、スポンサーがいてはニュースの公平性は保てないだろうから、新聞にもNHKにも料金は払っていこうと思う。

ゴールデンウィークは2010/05/04 19:22

2日間実家に帰った以外は、本を読んだりレンタルビデオを観たりして、のんびりと過ごしている。報告遅れましたが、鹿児島から浜松に戻っています。

思うことあって今年の正月から日記を書き始め、時々書き忘れはあるものの、何とか4ヶ月続いている。僕が付けているのは5年日記というもので、1頁が5段に分かれていて毎日1頁ずつ横に付けていき、1年前、2年前、、、5年前の今日何をしていたか分かるようになっている。但し付けている理由は振り返るためではなくて、5年後の自分を思い描いて、それに向かって進めているかを確認するため。

日記を付けていると月日の流れが早く感じるけれど、付けずにいるともっと早く過ぎ去っていくような気がする。書き忘れることはあっても、書けることが何もないことがないよう過ごしていけたらいい。